たかまること。

日々を楽しく

不妊・不育の7年を経て

結婚8年目にして子どもを授かることができました。今日は授かるまでを振り返ります。

 

結婚~はじめての妊娠

夫27歳/私28歳の時に結婚。

子どもがすぐ欲しかったわけではないので妊活などまったく意識しない生活。

結婚2年目で妊娠検査薬がはじめて陽性に。

喜んだのもつかの間、初めて稽留流産を経験する。

 

高度異形成により子宮円錐切除

結婚3年目、子宮頸癌検査の結果、癌の一歩手前であることがわかり、大学病院での手術が決まる。

これから妊娠する可能性があるから子宮は出来るだけ切らないように先生が配慮くださりありがたかった。

でも少し妊娠に対する不安が生まれる。

 

専門クリニックの不妊外来へ

手術から数ヶ月、友人の薦めで不妊外来に行ってみることにした。

一般的な検査はすべて受け(もちろん夫の精液検査も)、結果は特に問題なし。

(←あとから気づいたけど問題ないのが一番厄介)

 

タイミング法→排卵誘発剤の注射→人口受精とステップアップ。

この間2回ほど妊娠するが、どちらも稽留流産。うち1回は初めて胎嚢確認、心拍確認できず自然流産。

検診の度に神経がすり減らされる。

頑張っているのは私だけ?という気持ちにもなり夫に対して不満も生まれる。

次第にギスギスしていく心に、そこまでしてこどもが欲しいのか?と自分に問いはじめる。

クリニックの院長先生(女性)も無機質な感じがしてあまり馴染めず、人口受精2回終えた時点で一旦妊活お休みすることに。

 

大学病院の不妊外来へ

結婚4年目。妊活を1年ほどお休みしてから、子宮の手術をした大学病院の不妊外来にいくことに。

専門クリニックとだいたい同じ検査をするのであまり意味がない気もしたが、仕方がない。

そして結果はどれも問題なし。

ここでは1回妊娠したものの、またしても胎嚢確認まで。先生から不育症の有名な病院を紹介される。

 

不育症検査

新横浜にある有名な不育症専門クリニックへ。

10万円する血液検査で不育の原因を診てもらうことにした。

これまで何を調べても問題ないので手の打ちようがないため、原因が知りたくて仕方なかった。

血液検査の結果、決定的な原因は見当たらなかった。

少し血流が悪いという数値が出たため、低用量アスピリン(成分はバファリンの1/8?)を処方してもらったが、これも必須ではなく、これぐらいしか対処するものがない、というのが本当のところだと私は認識した。

 

ここまで来て、ようやく自分の中で区切りがついた気がした。

やれるだけのことはやったし、もう頑張ることはやめよう。

 

妊活やめる

不育症の検査後、病院に通うのはきっぱりやめることにした。

もう子どもはできないかもしれないけど、幸い夫婦仲は良く、子どもができないから関係が壊れてしまうこともなかった。

二人で大好きなお酒を飲み、旅行もたくさんし、完全にリフレッシュ。子どもがいない生活を受け入れようと思った。

もちろん心のどこかでこんなに健康体なのに子どもが出来ないことへのくすぶりはあったし、自分たちに子どもがいたら愛情いっぱい育ててあげる自信もあるのに。本当にもどかしい。

自分たちより後に結婚した友人から続々と妊娠報告を聞くと素直に喜べない自分がいて、複雑だった。

 

自然妊娠

妊活をやめて約2年、まったく妊娠することもないまま私は35歳になっていた。

だんだんと夫は子連れの家族と遊ぶことに後ろ向きになってきた。やはり夫も少なからずストレスを抱えているようだ。もしかして夫が心から子どもが欲しいと思ったのはこの頃なのかもしれない。

なんとか出来ないものかなあ、なんて思っていると、まさかの自然妊娠が発覚。

 

でも私たちは信じられなかった。今まで何度も流産してきたし、絶対途中でだめになる。そう思ってしまって、ほとんど周りには妊娠をつたえなかった。

予想に反して検診の度に順調に育っていく胎児。

徐々に実感が沸いてくる。

安定期に入りようやく周りに報告し、祝福の声に改めて妊娠を実感する。と同時に無事に産まれてくれなかったらどうしようと不安感に襲われる。

ありがたいことに、そのまま全く心配いらないまま出産の時を迎えることになる。

そして、結婚8年目にして第一子を出産。

 

まとめ

振り返ってみると、ここまで本当に紆余曲折ありました。

そんなに真剣に妊活に取り組んできた意識はないけど、しっかりと取り組んでいたみたいです。

いろいろ思い返すと当時の気持ちになり涙がでてきました。

妊娠・出産は奇跡だと心から思います。

子育ては大変だと思うしこれから困難もたくさんあるだろうけど、この奇跡に感謝して大切に育てていこうと思います。